憲法13条
すべての国民は個人として尊重される。
生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で最大限の尊重を必要とする。
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毎年いまごろの時期になると一年なんてあっという間だなと思うのだけど歳とともにその短さが加速されているような気がする。今年はとくに短かった、年末から抱えた仕事が2月まで続いてそのあともあれこれ手間のかかることがあって5月になると山の仕事も始まって本業と二足の草鞋、ムリじゃないかなと弱気になったけどムリでも何でも得意ののらりくらりとその場しのぎを続けたら全部、片づいた。やあ、それが11月の末で嬉しかった、そのかわり色んなことが手つかずのままで来年に先延ばし、たとえば畑はずいぶん手抜きして雑草だらけになったし小さな文庫を作ろうと思って借りたマンサードも改築は進まなかった、薪づくりだけは暮らしに直接響くからやることはやったけどこういうパターンは少し考えないといけないと反省。
12月に入って時間ができたので冬の間は勉強しようと決めていたその第一弾、訓練校に通ってデザインの勉強、といっても初歩的なことばかりだけどイラストレーターとインデザインの講習を受けた。専用のパソコンを与えられて実技中心の講習、これが結構つらかったけど2つの講習を何とか最後まで受けてちゃんと修了証書というのも貰った、そういうの貰うのは生まれて初めてじゃないか、20代の受講生に混じってもうすぐ70になる爺さんがよくもめげずに最後まで頑張ったなあと我ながら感心する。何を覚えたかといえば言われた通りに操作しただけ、それも若者の感覚的な操作にはついていけないしそもそもわたしにパソコンスキルがないから何度も手を挙げては3つ戻って操作の復習、つまり知りたかったのはイラストレーターやインデザインでどこまでできるのかということだった。編集の仕事をするときには文字データを作るだけ、全体の構成や台割も作るがそこから先はデザイナーに丸投げで、そういうの何とかしたいという気持ちがあった。その気持ちは満たされたから自分としては満足。
YENI RAKIという酒をトルコ旅行の土産に帰省した次男が持ち込んでこれが美味しい。透明な蒸留酒、水で割ると白濁して「なんじゃ、これはドブロクじゃないか」と思ったけど甘みと酸味がスッキリしている、試しにお湯で割ってみたら水で割るほど白濁はしないが香りが立ってきて体も温まる、ギリシャのウーゾと同じらしいけどウーゾはずっと飲んでみたかった酒で村上春樹が修道院巡りの本の中でこの酒にはまった話を書いていたな。次男は9月にイスタンブールで1週間ほど過ごしてその間、毎日この酒を飲んでいたとか。ラクと呼ぶらしいがウーゾと同じならこれでいいだろうと思って土産にしてくれたとか。YENI-RAKIはアニスの香料とあって調べたらウイキョウのことで「ああ」とこの酒の甘みと香りに納得、気に入ったと思ったら年末年始は仕事で帰省できない長男から段ボールの宅配便でボウモアが届いてすっかり嬉しくなった。酒飲みの父親が男子を育てると「親父は酒飲んでりゃ機嫌いいから」と納得するのだろうか、はて、正解だったかな。
このブログ、もう一年以上も更新してなかった。毎月そろそろ何か書こうかと思いながら毎日何か新しいことが起こるから書こうかと思ったことはもう古くなってしまう、書くなら長くと思ってしまうので分裂気味になって諦める、その繰り返しでとうとう年末になった。じつはここまでだって3日がかり、とぎれとぎれ、とにかく元気で過ごせた一年でした。あんまり不意ですが、良いお年を!
追伸
『地域人』(大正大学地域構想研究所)という雑誌の新年号に文章を書きました。恥ずかしながらわたしの姿がデンと載っております。ご笑覧ください。
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わたしは計画倒れの多い人間だ、思いつくことはいろいろあって実現のための筋道を考えるのも好きでああでもないこうでもないと計画に熱中するのだがそのうちにプイと飽きてしまう。べつにいいかと諦めてしまう。鹿を捕らえるためにワナ猟の免許を取ろうという計画もそうだった。目的は鹿肉を食べるためだが近所からどんどん分けてもらえる、鹿は家の周りにいくらでもいる、それを捕らえる猟師もいる、でもどの家も鹿肉には飽きてしまったのか冷凍庫に入りきらないのか、とにかく奥さんが喜ばないから猟師たちは「食べてくれ」といって大きな塊をぶら下げては我が家に来るのだ。
それを大ざっぱに切り分けて冷凍庫に入れる、我が家にストッカーはないし冷凍庫にはいろいろな野菜も入っているからこれもたちまち置き場所がなくなる、そこで燻製を作る。塩をして丸一日、水に戻して1,2時間、土鍋にヒッコリーを入れてアルミ箔の上で焼く、鹿肉は水気を切ったら黒胡椒をたっぷり刷り込んで土鍋の中で1時間ほど、こんがりとした色の燻製が出来上がる、これが美味しい、どっちかといえばハムのような味なんだけどお酒のつまみには絶品だ、客に出したら「これは美味い」とあちこちに吹聴したらしく、それで余計に猟師は処分に困った鹿肉を我が家に持ち込むことになる、ワナ猟の免許なんかどうでも良くなった。
しかしもう一つ、どうしても実現したいことがあって薪ストーブの総入れ替え。家を建てたときに据え付けた鋳物の薪ストーブはもう24年も使っていて内部はガタガタになっている、着火のときには本体のあちこちから煙が漏れてしまう、もともと知識ゼロ、大工さん任せで購入した薪ストーブはたしか当時の値段が6万円、いまでは同じものがホームセンターで2万円で売られている、そもそもの欠点は本体が小さいので火力が上がらないこと、加えて煙突システムにも問題があった。
薪ストーブの煙突というのは縦引きが長いほどよく燃える、壁出しのために横引き部分があったとしても縦横の比率は2対1が最低限度、ところが我が家の煙突は2重の玄関をくり貫いて外まで引っ張り、そこから立ち上げているから比率は1対1かそれ以下になってしまう、横引きのほうが長いのだ。すると煤が詰まる、風が強いときには逆流して家の中が煙だらけになる、真冬には週に一度は煙突掃除をしなくちゃいけなくてこれがつらかった。煤が詰まってしまうとワイヤを伸ばしても通らないから全部ばらしてコンコンと叩かなければいけない、その間はもちろんストーブの火を落とすから家の中が冷え切ってしまう、それでも我慢して24年も使い続けたのだからもういいだろう、よし、総入れ替えだと決心したのが春先のこと。何せ薪だけは潤沢にあるのだ、しかも山から運び出した雑木の薪で楢がほとんどになる。せっかくいい薪があるのに燃えないんじゃ宝の持ち腐れじゃないか。
この計画はじっくりと練った、雪が来る前に完成すればいいんだから慌てなくていい、ネットでいろいろなメーカーのストーブや煙突部材を調べ、互換性もチェックし、おカネがないから総予算も20万と決めてありとあらゆる方法を考えた、われながら涙ぐましい努力を重ねたのだ。
あれこれ調べてみて、一番のネックは煙突システムだとわかった、安上がりに作ろうと思えば10万円以下でも作れるのだがそれだと結局、詰まりやすい煙突になる、ストーブ本体は国内メーカーでも性能のいいのが出ていて熊本のノザキという会社の鋼板ストーブに決めた、これはわりと結論早くて朝の気温がマイナス20度近くまで下がるのだから熱放射が早いストーブがいい、鋳物は熱が長持ちするけど暖まるまで時間がかかる、鋼板は鋳物よりすぐに暖かくなるし吸気調整さえちゃんとやれば火持ちもいいはず。ただしどういうストーブでもとにかく煙突なのだ。
理想は吹き抜けの土間から真っ直ぐに立ち上がって屋根を抜いてしまうシステム、これだと縦引きだけだから排煙はすごい力になる、ただし床から6メートルもある天井に煙突を突き刺すのは足場を組まなければムリだし棟に近い高さというのは風圧もすごくていろいろ問題がある。そこで考えたのがストーブから真っ直ぐに立ち上げて途中で斜めに延ばして天井に近づけ、そこからまた真っ直ぐに立ち上げるシステム。斜めといっても45度傾斜だから全体がほぼ縦引きになるし棟からも遠くなるし太い梁を足場にして取り付けることができる。全体のイメージが固まったので必要な部材を調べていったら煙突や取り付け部材だけで20万近い金額になるとわかってまた悩む。ハーッ、本体と合わせれば25万か、工事費もかかるしこれはやっぱり厳しいかと溜め息、そしたら市の広報に薪ストーブ助成制度のお知らせが載った。上限10万円で設置費の20パーセント、つまり25万なら5万の助成金が出る、ただし現金じゃなくて市内で使える商品券、それだって助かることは助かるんだから友人の板金屋とその友人の大工さんを呼んで現場を見せながら工事内容を説明する。2人とも「うーん」と唸りつつ「やってみるべ」と格安料金で請け負ってくれた。着工決定!
栗の一枚板に脚だけつけてテーブルも作った。ただし生乾きの板なので割れが心配。
でも、今年いちばん実現したかったできて嬉しい。
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今朝6時の気温は2度だった。さすがに寒くて首をすくめてしまう。この感じだと秋は短いな、たぶんひと月で通り過ぎて冬が来るな。そうなるといよいよ秋は慌しい。
ずっと慌しかったのは雨続きの夏のせいもある。晴れたらやろうと思っていたことができない、先延ばしになる、諦めれば済むことだけど気がかりが残る、やらなくちゃいけないことがどんどん溜まってくる、そういうのとは別に本の仕事はまったなしで押しかけてくる、週の半分は山仕事で拘束されるし疲れも溜まってくる、大丈夫かなあと思うのだけどまあ、気がつけばどうやら苦しい時期は乗り越えたみたいだ。
このブログだって三月もほったらかし、書きたいことはたくさんあったけど3日もすればどうでもいいことに思えてくるから忘れてしまう、ブログというのは休んでしまうと再開にものすごくエネルギー使うな。古い日付の記憶はどんどん消えてしまうからこの三月、ずいぶんいろいろあったけど新しい日付のことしか覚えていない。二つある、まず猫が来た。
猫を飼うのは久しぶりだ。結婚前の独り暮らしのころから猫を飼いだして都会を離れて新しい家族が増えてもその猫は飼い続け、たしか17年生きて大往生みたいに死んでしまった。大きくて毛足の長い、気難しくて人には馴れず、でも顔や姿のきれいな猫であの猫を超える猫はいないのだからもう飼うつもりはなかったけど突然に飼うことになった。ある朝、かみさんが「猫を飼う」と宣言し、わたしが「ランちゃん(昔の猫の名前)を超える猫なら許す」と言うとさっさと車で出かけて電話をかけてきた。「大きくて毛の長い猫だよ、よく似てるよ」というので「ゲットしちゃえ」と答えた。ラブ犬との縁を作ってくれた愛護団体の譲渡会に出かけたのだ。
かみさんが連れてきた猫は想像していた通りの姿だった、フワッフワの毛足で手足はたくましく尻尾も太い、ちょっとデブじゃないかと思ったけどそれは毛足が長いからで後姿はまるでタヌキみたいだ。ノルウェージャン・フォレストのミックスというけどネットで調べたら顔のまわりの鬣(たてがみ)のような毛はノルウェイジャンそのもの、5歳のオスで元の飼い主は熱海のおばあちゃんなのだそうだ。春に岩泉のおばあちゃんが飼っていた犬を引き取り、こんどは熱海か。でもノルウェーが産地なら寒さにはめっぽう強いだろう、我が家に着いたその瞬間にもう懐いてスリスリしてくる、「なんだこの人懐こさは」と驚いたけどそう性格の種類らしい。物怖じもしないで家中を歩き回り、かみさんが歩けばその後をずっとついて回る。爪切りもシャンプーもぜんぜん嫌がらないから拍子抜けするぐらい飼いやすい、何といっても顔がいいけどこれは主観もあるし惚れこんだ弱みもあるから写真は載せないでおきましょう。とにかく可愛いよ(笑)、名前もついていたけど呼びにくいからジャンにした、声をかければそばに来るのだから名前はどうでもいいみたい、ジャンはgian、男の子のふつうの名前だな。ちょっと小生意気な少年のイメージもあるけど5歳ならもう立派な大人の猫、長生きしてもらおう。
先住犬も元気で夏の間はずっと涼しい縁側で飼っていた、外が良く見えるから吠えるのが仕事だと思っているダイちゃん(これは元の名前をそのまま)は気に入っているみたいだ、冬になればストーブの土間に移るけどジャンは無頓着でおおらかな性格だからすぐに仲良くなるだろう。そういえばダイちゃんは散歩のときに栗を食べる、道端にイガから弾けた栗の実が落ちていてそれをパクリとくわえて噛み割って皮は吐き出す、大きな実は前脚で押さえて器用に皮を剥いて食べる、わたしは縄文犬とひそかに呼んでいるけど、かつてのラブ犬は山桃が大好きだったのに縄文犬は桃には興味を示さない。
もう一つの出来事はマンサード。遠野の村々にはほとんどの家にマンサード屋根の小屋があって屋根の形も少しずつ違うのだけど妙にお洒落で妙に可愛らしい、あれこれ聞いてみるとある時期にどの農家もこぞって建てたらしく、それが4,50年前のことらしい。一軒が建てると「ああいうの、格好いいな」と男たちが思い「オラもほしい」ということで村の大工さんに頼む、大工さんもどんどん慣れてきて注文をこなすけど隣りとまったく同じじゃつまらないから少しずつ変化をつける、といっても基本の形は同じでマンサードの特徴は屋根の勾配が二段になっていること、屋根裏部屋があること、片側に大きく張り出して軒下にトラクターとか軽トラを置けること、そこで個性を出そうとすればトタン屋根の色を変えるぐらいしかない、といっても赤や茶色、青や緑、黒やグレーが主な色でこれが茅葺屋根の多かった時代にはものすごくハイカラに見えたんじゃないのかな。
屋根裏部屋があるというのはマンサードの実用的なところで、この小屋を建てた農家はたいていが牛を飼っているかタバコを栽培していた、広い屋根裏があれば干草をどんどん積み上げることができる、タバコの葉も乾燥させることができる、1階には牛や馬を飼う部屋があってここは床を張らなくていい、そのほかに作業部屋が2つか3つくらい、広さは20-30坪くらいだろうか、そういうマンサード屋根の小屋を去年の秋に偶然、手に入れた。借りたつもりだが持ち主はくれたつもりでいる、いずれにしても好きなだけ自由に使っていいマンサード屋根の小屋ができたのだけど最初のころはマンサードという名称があることすら知らなかった。自分が手に入れて初めてどこの家の庭にもある可愛らしい屋根の小屋だと気がついたのだがなにせ築数十年、空き家状態でずいぶん長く放置され周囲は萱が伸びて建物がそこにあることさえ知らなかった。
小屋の周りの萱や野ばらの藪を刈った、建物の中にあったボロボロの畳やシート、いろいろなゴミを片付けた、大工さんに見てもらってどこをどう直せばいいか、まずどこから手をつければいいかを相談して錆びだらけの屋根のペンキを塗るのが最初の作業と決めた。決めたはいいが雨続きの夏でなかなかペンキを塗る日が訪れない、旧盆過ぎたころに帰省したままゴロゴロしている次男にも手伝ってもらってたった2日の晴れ間を見てペンキを塗り始めた。すぐにまた雨続き、朝は晴れてもすぐに雨雲広がる天気が続き、それでも少しずつ塗って先週にやっと全部塗り終わった。ひとまず屋根だけはピカピカになったのだけど先は長いな、まあ、のんびりやっていくしかない。
出入りの戸を直す、床を張り替える、牛小屋スペースを地ならしする、柱を補強する、やることはまだまだあるのだけれど、わたしはこの小屋のマンサードが気に入っている。塗ったばかりの赤いペンキも気に入っている。そして何より、この小屋の屋根から見える西の山の眺めが気に入っている。
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今日は山開きの日だけど朝から雨交じりの冷たい風が吹いて気温も上がらない。たぶん山は寒くて風も強く視界も悪いだろう。去年も一昨年もいい天気で稜線歩きは気持ちよかったけど今年は仕事の中身が変わったので山開きには行かない。頂上から見下ろすモコモコとした麓の森を歩き回るのが新しい仕事で、山登りとは違う楽しさがある。といっても山登りのようにはっきりとした道はないのだ、奥まった林道に車を止めると沢を渡り笹薮や土つきの滑りやすくて急な斜面を登ったり伝い歩いたり下ったりする、尾根筋をいくつも越えてまた沢を下る、荷物もたくさんあって腰には鉈鋸や巻尺やスプレー缶、ビニールテープなんかぶら下げ、肩には輪尺という木の直径を測る大きなノギスのようなものを掛けて背中のリュックには飲み物や雨具やタオル、予備のスプレー缶とかそのときそのときで必要なものを詰め込んでいる。おまけにコースによっては赤白のポールを持ち頭にはヘルメットを被っている、ヘルメットはどんな作業のときでも着用しなければいけない、こういう弁慶さんみたいな格好でときには3時間も4時間も森の中を歩き回るのだからハードといえばハードだがそれが毎日繰り返されるわけではなく、林道のパトロールやあちこちに立てられた看板や標識の汚れ落としといったのんきな作業だけで終わる日もある。
弁慶さんみたいな格好でいったい何をしているのかというとこれがひと口ではなかなか説明できない。森の中を歩き回るのもちゃんと作業目的があり、その目的によって持ち物は変わる。順番に説明するとまず、国有林というのはすべて住所表示がされている。人間の住所と同じで何丁目何番地の何号という区分が完ぺきにできていて専用の地図もある。地図にはそれぞれの区分ごとに植生が記入されている。針葉樹なら杉なのかカラマツなのか赤松なのか、植林の森なら植えられて何年になるのか、もちろん広葉樹の森も区分されているがさすがにこちらには樹木の種類までは記入されていない、そのかわり250とか300という数字が書いてあってこれは平均樹齢のこと、だから植林された森に比べれば大きな数字が並んでいる。この地図は慣れないと読むのが難しくて一般道や建物や川なんか色分けされてないし大ざっぱな扱い、そのかわりすべての林道や枝分かれする作業道、区分ごとの境界や尾根筋、沢筋は明確に扱われていてしかも大きい。わたしの担当エリアの地図は畳一枚近くもあって折りたたんで車に積んでいるが持ち出し禁止、コピーも禁止されている。森を歩くときには森林官(こちらは正職員)がその日のエリアの拡大コピーをくれるが等高線と沢筋、尾根筋はわかっても山に入れば番地表示がぶら下がっているわけでなし、目印の建物や信号があるわけでなし、すべての樹木は入り組んで混然としているから現在地がなかなかつかめない。
しかし専用のアプリがあってスマホよりひと回り大きなタブレットを見ればすべての区分の境界と現在地がGPSでわかるようになっている。森林官はそれを見ながら目的地に近づくのだけどアプリ上の境界線がいくら明確でも現実の山は入り組んでいるし数十年も経過した植林地には実生の樹木が育ったり倒木や枯れ木もあるからしばしば判断に時間がかかる。でもとにかく目的地、つまり住所表示に該当する一画に着くことはできるのだ。作業はそこから始まるが、いま多いのは収穫調査と呼ばれる作業。たとえば40年前に植えた杉やカラマツがどれだけ育っているかを調べる。標準的な生育状態の場所を選んで20メートル四方くらいの区画を決めてその中の木をすべて計測する。太さと高さと木の種類、用途も判断する。良質な材を取れるかパルプにしかならないかといったことだが弁慶の持ち物はそのときに使う。ほかにもいろいろな作業があってたとえば十分に育った樹木を伐採する場合は業者を案内するし、若い植林地では苗木ごとの生育状態を詳しく調べてデータを取り、苗木の産地の適性を判断する。わたしはただの非常勤職員だから森林官の指示通りに動き回るのだが歩いたり担いだりの苦労は同じでしかも深い山の中で一緒に過ごす時間が長いとある種の連帯感は生まれてくる。まだ30代の森林官は年寄りに気を遣い危険な作業は自分で受け持ってときどき境界確認のために急斜面に姿が消えたりする。「これくらいの斜面、昔は息も切らさずに登れたのに」と思うことも多いがまあ、こっちがケガでもして歩けなくなったらお互いピンチに陥るからムリはしない。
森林限界を突き抜けて高い山に登る爽快さはないが、森歩きには不思議な楽しさがある。見通しも悪く、方角もわからず、目的地すら判然としない森を歩いていると迷子になったような心許なさが生まれるがその感覚が懐かしいのだ。もちろん一人きりになることはなく、ほとんどの作業は2人か3人で組む。だから不安を感じることもないが、2人だろうと3人だろうと広い森の中で人間はちっぽけな存在で二本足のひ弱な生きものでしかない。あっちにうろうろ、こっちにうろうろしながら歩いていると圧倒的な森の力に翻弄されて浮遊感すら生まれてくる。その感覚が楽しいのだ。歩き始めたばかりの幼児にもきっとそういう感覚はあるはずでもしかすると森で感じる懐かしさの正体は体の奥深くに眠り込んでいた柔らかい感覚に出会うことなのかもしれない。
わたしが好きなのはモザイク模様に広がる針葉樹の植林帯を包み込む保帯と呼ばれる森で、ときどきブナやミズナラ、クリや桂や栃のとんでもない巨木が残っている。そういう巨木を見ると「これは人間が何百年も守ってきたのだな」と思う。厳密な意味での原生林は自然保護地域の限られた範囲にしか残っていなくて広葉樹の森のほとんどはかつて伐採された樹木が更新された二次林なのだから保帯にも巨木は残らないはずなのに森の霊気をまるごと閉じ込めたような木が残り、それが目印となって同じ区画に入るときには順路の記憶が蘇る。樵たちが「これは切らない」と決めれば次の世代の樵もその意思を受け継ぎ巨木は残される。保帯はなだらかな尾根筋に広がることが多いから針葉樹の収穫調査は保帯をめぐる森歩きにもなる。緑の鮮やかないまの季節、広葉樹の森は明るくてきれいだ。いくつもの沢や尾根を越えてたどり着く保帯の中にはここが深い森なのだということを忘れさせる伸びやかさがあってしかも平坦、藪も笹もなく歩きやすくて「ああ、こういう森が広がればクマも里になんか下りてこないだろうに」と思う。
根元の直径が2メートル近くもあるこのブナには人間が1人、立ったままで入れるような大きな洞があった。後姿は若い森林官のSさん、弁慶の荷物を腰や背中にぶら下げている。この日の作業は山見と呼ばれるもので本格調査の前にエリア全体を歩いてテープやスプレーで目印をつけ、つぎに訪ねるときの最適な順路を決める。いちばん森の中をうろうろする作業だけどそれだけに何に出会うのかわからず面白い。もう山菜の季節は過ぎてしまったが先日までは足の踏み場もないほどシドケやアイコの密生する沢筋を歩いていた。つつじが終われば森は白い花があちこちに咲き、その名前を一つひとつ覚えていくのも楽しい。めったに更新しなくなったブログだけど、リュックには記録のためのカメラを放り込んでいるからわたしが気づいたこと、忘れられないことをときどきこうして紹介してみたい。
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今年は春の山に出かけることが多い。山菜採りも楽しんだけどとにかく春の山の奥深くに入り込んで景色を眺める。いろいろ経緯があって週に3日、林道やそこから枝分かれする作業道のパトロールとか点検の仕事をやりだしたからだ。仕事だからのんびり眺めて時間をつぶすことはできないが何せ悪路だしその先の様子がわからないから車はゆっくり走らせるし、分岐があれば車を止めて地図で現在地を確認しなければいけない。鋸で処理できる程度の倒木や、手で動かせる大きさの転石もどかさなければいけない。そして山奥の行き止まりでちょうど昼の弁当の時間になったりするから、春の山はたっぷりと楽しめる。
受け持ちのエリアは自分が暮らす村で広さは210平方キロというから東京23区の3分の1くらいあるのか、ほとんどが山また山、その間に川があって山襞には沢が迷路のように流れていて林道や作業道は信じられない奥や高さの中を走っているから風景はめまぐるしく変わる。1つの林道から別の林道に入るときには緑の広がる高原を突っ切ったり田植えの始まったきれいな里の風景にも触れる、春はいいなあと晴れた日にはつくづく思う。
山葡萄の新芽。夏になれば大きな濃い緑の葉が猛々しいくらいに覆いつくし、秋にはそれが赤みがかった茶色に変わるのだけど印象としては荒々しい、でも芽が出始めたころはこんなに可憐で気品があるなんて知らなかった。
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4月も半ばを過ぎた。さすがに暖かくなったけどもっと嬉しいのは日が長くなったこと、冬がつらいのは寒さではない、寒さなんか家の中にいてストーブのそばに座っていればしのげるのだけど4時を過ぎれば暗くなり、朝も7時を過ぎないと明るくならないというのは気が滅入る。仕事してればいいじゃないかと思うのだが吹雪や曇天が続くと「オレはなんでこんなところにいるんだ」と恨めしい気分になる。
だから春の嬉しさは日差し、寒さは行きつ戻りつしてじれったくもなるが日足だけは一日一日伸びてくる、6時前にもう朝日が家に差し込むというのは笑い出したくなるほど嬉しいのだ。
この一カ月いろいろあった。3月の末で急ぎの仕事は決着したのでまず犬を飼う準備をした。ラブ犬が死んだのは去年の12月、今年の冬を長く感じたのは犬がいないせいもあったのか、といってもラブ犬は老いて足腰も弱くなっていたから真冬の散歩は大変だったろう、いいときに死んだのかなという気もする、犬のいない山暮らしは経験なかったけど私まで散歩にも出ず家の中に閉じこもる暮らしが続いたから雪が溶け出したころ「ああ、これはまずいかな」と思った。
新しい犬は考えて成犬を譲り受けることにした。いろいろな事情があって保護されている犬がいる、ラブ犬もそうだった、それに私だってもう歳には違いない、仔犬は可愛いけど15年経てば老犬になるしそのころには私だっていい爺さんになっている、生きているのかどうかもわからない、だから元気なうちに世話のできる犬がいいと考えた。それで保健所のホームページを見たら収容された犬ではなく里親を探している犬が載っていて連絡してみた。まず会ってみようということでかみさんと出かけて車で2時間ほどの海辺の町、そこは私の生まれ故郷のすぐ近くだった。飼い主は高齢のおばあちゃんでしかも去年の台風で川が氾濫して家が流されたからもう飼えなくなったのだという。9歳の黒犬で柴と何かのミックスだろう、体はそれほど大きくない。歳のわりには元気で丈夫そうで敏捷、仔犬みたいにはしゃぎ回っているからかみさんと一決で譲り受けることにした。里親になるということ。
飼い主のおばあちゃんから半年預かっていた訓練士のKさんは情が移っていたのか引き渡すときには泣き出したけど犬も不安だったと思う。山の家に来てまだ1週間だがずいぶん慣れて落ち着いてきた。暗くなると土間に入れ夜も土間の片隅に自分の寝場所を見つけたのでそこに毛布を敷いてやると朝まで丸くなって寝ている。散歩のときはやたら元気だが土間にいるときはお行儀がいい。
犬のいない冬の間に、私は退屈だから庭のモミジの幹に餌台を置いて小鳥たちを餌付けしてみた。数日もするといろいろな鳥が来るようになった。最初はゴジュウカラが来て、コガラやヤマガラも来るようになった。エナガの群れは日に何度も飛んでくるが餌台には来ない、そのうちスズメも来るようになったからモミジの周りはいつも賑やかで、晴れた日の昼にはストーブのそばで雪見酒なんかやってると餌台の野鳥が見える、面白いし飽きない、昔からヤマガラは好きな鳥だったけど最初に来てくれたゴジュウカラが愛着わいてきて毎日眺めていた。餌をまくとどこかで見ているのかすぐに飛んでくるようになり、幹を逆さになって伝い降りてくる様子が面白くて冬の退屈を救ってくれた。
4月に入って畑を天地返し、肥料もあれこれ買ってきて漉き込んだ。去年も一昨年も鹿にやられたから今年は背の高い支柱を立ててネットも二重に張った。去年までは町の仕事が忙しくて週末しか山に帰ってこれなかったかみさんも仕事を整理して山暮らしの日が増えたので、手分けしてあれこれやれば畑仕事もはかどるだろう。ネットを新しく張りなおした畑には小さな保温のハウスを作ってレタスの苗や葉物野菜の種を蒔いたしジャガイモも蒔いた。これから豆類やいろいろな野菜を育てる日が続く。
なんだかんだで忙しい日が当分続きそうだ。これは追々、伝えていこうと思っているけど去年の秋に古い牛小屋をただで借りることになり、そこは歩いてもいける場所だが小屋の周りに堰が流れていて川も近い、西の空には低い山並みが続いていて夕陽のきれいな場所、周囲も広々して土地も含めて借りたから少しずつ手を入れているけど何かできないかなと思っている。ただしこれはかみさんの管理になる。屋根のペンキも剥げて錆びだらけ、出入り口も壊れているし床も手入れが必要だけど建物はしっかりしている。おカネはかけずに時間をかけて直せるところから直していくつもりだけど5月にはまず屋根を塗り替えたり出入り口を補修したり床を直したい。
やらなくちゃいけないことはまだまだあって、これも去年の秋にわたしは山の林道拡張に伴って伐採した木を10tトラック4台分も払い下げてもらった。どうやって運ぶんだとみんな呆れているが少しは考えているのだ。いずれチェンソー持ち込んで山積みの原木を切らなければいけないけど手続き踏んで払い下げたのだから慌てなくていい、まあ、今年中の仕事になるかなと思っている。
ただしこういう作業はすべて一銭にもならないから暮らしていくためには収入を確保しなければならない、というよりそっちが大事だろう、ただしうまい話が転がっているわけではないからこちらはこちらで日々、やることだけはやっていくしかないのだろう。そういう事情もケロリと忘れてまた犬を飼いだした。犬はそばにいてくれるだけでいい、山の家に近づくシカやクマを吠えて教えてくれるだけでいい、お互いに支え合う仲間ということで。
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いつものこと。暖かくなったと思えばまた寒さが戻って雪が積もる。
父の一周忌の法事のあと、家族と妹夫婦だけで大沢温泉。何年ぶりだろう、わたしたち家族は2泊、2泊なんて初めてだけどやっぱりゆっくりできていい。
大学生の男子2人交えてマージャンやったり卓球したり、ごろごろ。寝たり起きたり食べたり飲んだり風呂に入ったり。くつろいで過ごせた。
山に戻ればまた吹雪になってストーブのそばでゴロン。今日で春休みはおしまいと言い聞かせつつ夕方までボーっとしてた。
温泉に出かける前に餌台にはちゃんと餌をおいたけどなくなっているからすぐ追加。最近はゴジュウカラが数羽、慣れてきて玄関にも入ってくる。
かみさんが作ったゆべしが美味しくて日本酒のつまみにいいです。これははまりそう。
今日は早寝だな。明日からしゃきんとしましょう。
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春めいてきた。
朝はまだマイナス10度近くまで冷え込むが、よく見れば柳の芽も膨らみ始めている。毎年、ここから春までは遠いとわかっているけど、いったん兆しが出ると季節は裏切らない、あと少しの辛抱だな。
年越しになった仕事がさらに延びて2月のアタマにやっと終わった。その間にも細切れの仕事が入ってきてそれはそれでありがたいのだが外をのんびり歩く気がしなかった。去年、ラブ犬が死んでから散歩も気が向いたときにウロウロするだけで、距離は短くてもやはり毎日朝夕、犬と歩けたころがいろいろなことに気がついた。
ただ、閉じこもって暮らしているようでも2階の仕事場の窓は3面にあるので鳥が見える。朝、熱いコーヒーを外で飲む習慣も変わっていなくて、このときにも鳥が見える。玄関を開けるといつも目の前にいるのがジョウビタキ、裏庭に上って行くとエナガの群れ、エナガは20羽くらいがあっちの木、こっちの木と飛び回っては枝の上で何やら突いている。ヒガラやコガラも混じる。仕事中にふと目をやるとヤマガラがいつも同じ枝に飛んでくる、ヤマガラはきれいな鳥だけど数はあまりいないし群れない、前庭のムラサキシキブにはヒヨドリが来て雪の上にはツグミが降りてくる。ツグミはいつだったか玄関に飛び込んできて素通しのガラスにぶつかった。先だって大酒飲んだ友人が子どものころに食べたツグミの味噌漬けとウルカの味が忘れられないと言ってたのを思い出し、さあ捕まえてやろうかと思ったけどツグミは禁猟の鳥だった。
キッチンの窓から見える木の枝に餌台を置いてキビの実を乗せてみたけど、すぐ近くまで鳥が来て遊んでいるのに餌台には来ない。警戒しているのか好みじゃないのかわからない。
キツツキの仲間の青ゲラは毎朝、土間の板壁を突きに来る。家の中に居てもコンコンと大きな音が響くからそのたびにかみさんやわたしが「コラ」と叫んで勝手口のドアを開けるのだけどキョキョ、キョキョッと鳴きながら逃げていく。あれは挨拶のつもりじゃないのか。まあ、賑やかな家になるのも悪くない。
空の色がどこか柔らかくなった今朝。
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今日は神社のどんと焼き。午前中に去年のお札とか持っていったら社守のKさんはまだ準備が終わってないから焚き物の山に放り込んでくる。
昨日は朝、マイナス17℃まで冷え込んだけどその前の日も寒くて日中もずっとマイナス10℃近くて油断、夜、風呂に入ろうと思ったらお湯が出ない。給湯管が凍ったみたいで風呂場に灯油ストーブ持ち込んで2時間も焚いてやっとお湯が出た、その間ずっと薪ストーブのそばでかみさんとホットウイスキーをちびちび飲んでいた。あ、飲み続けたのは私だ。
雪はたいしたことなくて30センチもない、でもとにかく寒い、薪がどんどん減っていくけどこればかりはケチるわけにはいかない。
雪掻きするほどの雪でもなくて寒いだけの日というのは楽と言えば楽なのだ、閉じこもって仕事しているだけでいい、ただ身体がなまる、動きたくてウロウロしながら家の周りで何かないかと探しているけどそうだ、スキーがあった。もう10年以上も使っていない板と靴があるのだ。寒さ収まったら、ちょっと遊びたい。
写真は神社の仁王門を拝殿方向から撮った、お正月には雪のなかった神社がやっと凛としてきた。
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