日記・コラム・つぶやき

紅葉

昨日は山に日帰り。今月は6日に帰ったがその後で台風が来て、
先日かみさんが帰ったらずいぶん枝が折れていたというからあちこち
点検するつもりもあったのだが、何よりも朝の抜けるような青空を見たら
帰らなくちゃと思ってしまった。
昨日は6時の気温が1度だった。犬と散歩しているときに見た岩手山は
お鉢のあたりにまた雪がついていた。
通い慣れた街道から眺める里山も紅葉が深まってきた。もうすぐ峠は雪が来る。
夏タイヤで帰れるのは今年はこれが最後かもしれない。

今年は山の家もいろいろなことがあった。
いちばん大変だったのは自家水道の整備で、
裏山の湧き水を引くパイプが詰まったり、
濾過槽に泥が溜まって水が濁ってきたりした。
湧き水は冷たくて美味しい水なのだが、水源の管理とか濾過槽の整備とか、
いろいろ手がかかる。亡くなった隣家のじっちゃんが作った装置だが、
いまではわが家しかこの水を使っていない。
山の集落も市水道が通じてほとんどの家が水道か、井戸を掘って地下水を
使うようになった。裏山の湧き水なんか使っているのは
うちのほかに一二軒しかないだろう。
その濾過槽の掃除を9月にやった。
「力仕事ぐらいオレでもできるよ」という長男のひと言で
「そうだな」と気がついたのだ。
住む家の水ぐらい、家族で解決すればいいんだ。
それで9月の連休に二人の男子と父で朝から暗くなるまでかかって
水問題を解決したのだ。濾過槽も底までさらって新しい砂を入れた。
次男もバケツに入れた砂を裏山まで運んだ。何度往復したんだろう。
貯水タンクに入り込んでデッキブラシで底まで洗ったのも次男だ。
濾過槽の石や砂利や炭や砂を全部さらい上げたのは長男だ。
昼飯を食べただけで休憩なしに文句も言わずに働き続けた。

山の家は敷地を大きなカラマツに囲まれているが、
裏山は雑木林でじつはキノコもいろいろ出る。
敷地の中にもハタケシメジやヤマドリ(ツチスギタケ)、キヌメリガサが
出る。キヌメリガサというのはクリーム色のきれいなキノコで、
卸し和えにすると歯ざわりのいい美味しいキノコだ。
貯水タンクの周りにはボリ(ナラタケ)が出る。裏山には
クリキノコ、ボリ、オオシメジ、ムラサキシメジが出る。
そのままずーっと登っていけばホンシメジ、バクロウ(コウタケ)が出る。
もっと登っていけばマイタケだって出る。山はつながっているから(笑)。
夏の間は庭の雑木林に隠れて見えないが、クルミが葉を落としたし
モミジも葉を落としたので建物が見えるようになった。
紅葉の山はどことなく暖かみがあってふっくら見えるから、
何だか家まで暖かそうだ。
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先だっての台風はずいぶん強い風が吹いたみたいで、
支えの金具が壊れて煙突が傾いていた。
それでも使えないことはないが、傾いた煙突というのは見ているだけで
気持ちの座りが悪くなるから金具を取り替えて真っ直ぐにする。
玄関に通じる石段にはモミジの葉が降り積もって、うっかりすると
足を踏み外しそうだが悪くない眺めだからそのままにする。
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9月に整備した水源も濾過槽も順調で、昔のように冷たく甘みのある水が
飲めるようになった。
こうしてみると何だか山の家は家族の大きな玩具のような気がした。
古くなったからあちこちいじらないといけないが、
手を加えればそれだけ気持ちよく動いてくれる。人が住める玩具。
その玩具を眺めてみて、やはり今年は外壁を塗り替えようと思った。
下見板の壁も塗装がずいぶん剥げてきた。
雪が来る前に、たっぷりとオイルステンを塗り込もう。
顔見知りの大工さんが「足場を組まなくても長い脚立でできる」と
言ってくれたので、ちょうどいいから頼んでみよう。
雪が来る前にもう少し薪も作っておいたほうがいい。
家の中と外の片づけがだいたい終わったので、少し歩いてみた。
といっても山に入る時間はないから川沿いの道を歩く。
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先月まで釣り人で賑わった渓流も静かだ。
このあたり、8月に入るとヤマメは抱卵しておなかがパンパンに
膨らみ、夏の終わりには産卵行動が始まって型のいいのはあまり釣れない。
それでも渓沿いの森で紅色のマスタケや蜜柑色のヤナギモダシに出合える。
魚篭の中にはヤマメの代わりにキノコが詰まっていて、
家に帰ると苦笑いしながら「ほら」と差し出した。
色づいた渓を眺めているといろいろなことを思い出す。

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散歩

その「十五の心」が新型インフルで学校閉鎖になってしまい、ずっと家にいる。
休みとはいっても出歩けず、かといって一日机に向かっているのもムリだから
「本でも借りてきて」というので久しぶりに市立図書館に出かけてきた。
司馬遼太郎にはまり始めた長男は『坂の上の雲』が読みたいのだそうだ。
あんな長いの、ゴソッと借りたらそれこそ休みの間中読み続けるだろうから、
とりあえず1、2巻だけ借りた。ぼくは『三四郎』(笑)、最近、
読み返したくなったから。

市立図書館の敷地の隅に村上昭夫の詩碑が建っているのにはじめて気がついた。
この詩人の「黒いこおろぎ」という作品を、はるか昔にぼくは卒論の結びに
引用したことがある。短い詩だからいまでも諳んじている。
怖いぐらいに寂しい詩だ。

いつものように高松の池をのぞいたら白鳥が2羽いた。もう来てたんだ。
散歩の人たちがみんな携帯のカメラで撮っている。
たった2羽だけで飛んできたのだろうか、それとも編隊と別れたのだろうか。
日溜まりで長旅の疲れを癒していた。また冬が来るんだなあ。
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天気がいいので北山散策路を少し歩いてみた。
この路は途中で岩泉街道を横切って愛宕山に通じるのだが、
終点まで歩けばまた引き返さないといけないので、住宅街が始まったところで
戻ってまた高松の池に下りた。途中、岩手山と向き合った斜面にポツンと
雰囲気のいい家があって、人の気配がない。
でも周囲は整っていて、いつでも住む人を迎えられるようになっている。
「こうでなくちゃいけないな」と思った。
人が住んでいようといまいと、
たたずまいの美しい家はそれだけで温かさがある。
家そのものに、人を安堵させるものがある。
山の家の周囲も紅葉が深まっているだろう。
10日ほど前に帰って冬支度を済ませたばかりだが、
こんなふうに眺めてみたい気がした。Rimg1337

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十五の心

この連休の間に長男は15歳になった。
背は親よりとっくに高くなった。手足がでかい。
靴なんか28センチでちょうどいい。中学に入ってから、
部活のシューズも通学用のシューズも半年と持たずに小さくなるので、
そのたびにナイケだアデダスと買わされるもんだから溜め息ついていたが、
先日、大して履きもしなかった長男の靴を試しに履いてみたら、
ぼくにちょうどいいのがゴロゴロ出てきた。これで当分、
散歩のスニーカーには不自由しない。靴は子どものお下がりか、

長男は部活が終わって受験生ということで、いちおう勉強モードには入っている
みたいだがとくに生活が変わった様子もない。毎晩10時には寝て6時には
起きている。運動不足だと言い出して朝20分ほど走ったりするが3日と
続かない。大河ドラマと民放の9時からドラマは欠かさず観ている。
メシはよく食うし、漫画も手離さない。
朝食のあと、居間のテーブルにどっかり座り込んで新聞を読んでいる。
どうもオヤジくさい。新聞はマンガとスポーツ欄とテレビ欄しか見ない。
テレビ欄のドラマのあらすじ紹介を見て、夜の番組を決めているみたいだ。
それでも定期テストのほかに実力テストが毎月あるので、
その数日前から机に向かう時間が長くなる。ときどき、
「ああ、受験生はまだまだ続くのか」と浮かない顔をするが、
休みの日には友だちと誘い合って町に出かけて遊んでくる。
なんの緊張感もなく、ただ淡々と日々を過ごしている。
15歳ってこういうもんだっけかなあ、忘れた。

その長男が先だって、晩ご飯のときに浮かない顔で
「オレの取り柄って何だろ」と訊いてきた。
入試のとき、面接の資料に調査票だか身上書だか、そういうものを書かなければ
いけないのだそうで、その中に「自分の取り柄」という項目があるんだって。
こういう質問には本当は即答してあげなくちゃいけないのだろう、「おまえは
努力家だ」とか「正義感が強い」とか「思いやりがある」とか、
でもいきなり質問されてぼくもかみさんも「うーん」と唸ってしまった。
「いいよ、いいよ、どうせオレは取り柄なんかないから」といじけたので
慌てて出まかせを並べる。
「丈夫」「寝つきがいい」「クヨクヨしない」「立ち直りが早い」「諦めがいい」
「おだてに弱い」「気が長い」「悩まない」と並べてみたが
「そういうの、取り柄だろうか」と悩んでいる。
次男が「ケチじゃない」「意地悪じゃない」「いじめない」「威張らない」と
これまたどう聞いても皮肉としか思えないことを並べたら、
「オレにはほんとうに取り柄がないなあ」とうなだれ始めたので、
お父さんとしては何とか一発、決めてやりたい。それで、
「前向き」と答えたら本人は少し考え、「まあそういうところはある、うん、
そうかもしれない」と納得顔だがものは言いようだな(笑)。

長男が「前向き」かどうかは、じつをいえばわからない。
15歳はもう、親が知らない不安や不満をいくつも抱えている年頃だし、
親には見せない顔があるだろう。そこまで知りたいとは思わないし、
ぶつけられてもたぶん、答えられない。「そのうちわかる」という言葉ぐらい
無責任なものはないから。
そのかわり、親に見せてくれる顔だけはちゃんと見てやろうと思う。
この眩しすぎる年ごろの、眩しさだけは覚えておこう。

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よみがえるということ・終

ダム湖に沈んだ集落の神楽を、
ニュータウンの子どもたちとその母親がよみがえらせたこと。
その意味の大きさに気がついたのは、盛んな拍手に包まれて9人が再び舞台に
並んで座ったときだった。
みんな晴れがましい顔をしていた。子どもたちの表情にはまだ恥ずかしさや
固さが残っていたが、2人のお母さんはほんとうに嬉しそうだった。

川又の神楽が途切れたのはダムができて集落がなくなったことと無関係ではない。
暮らしの場所がなくなれば、その土地に根ざしていた神楽を支えるものが
なくなる。そうでなくても過疎が進んで後継者が絶え、消えてしまった神楽は
無数にある。
けれども川又神楽はよみがえった。
ダム湖に沈んだ集落に伝わっていたものを、
ダム湖のほとりに開かれた新しい町の子どもたちとその母親がよみがえらせた。
それは物語がつながったということなのだろう。
湖に沈んだ集落が突然に打ち切られてしまった物語を、
湖を見下ろす人たちが受け継いだということ。そこに30数年という長い時間が
流れたけれども、何かがよみがえるときにはいつも偶然が重なるはずで、
時間の長さはその偶然を重ね合わせるためにあったということかもしれない。
華やかで、どこか幻想的な舞だった。
湖底で舞われているような神楽だった。

その日、
夕暮れの近づくころに家族を誘ってふたたび小野松観音例大祭に出かけた。
二度目の神楽の舞台は残念ながら終わったばかりだった。
それでも地元の人たちがいくつか屋台を出していて、
ペアレンビールの生ビールも飲めたし煮込みや焼き鳥もあってこじんまりした
とてもいい祭になっていた。関係者がテントの下で満足そうに日本酒を
飲んでいる。例によってこういうときだけ図々しいぼくはそのテントの
空いている椅子に次男とかみさんも座らせて生ビールを飲んだ。
隣に座っていたおばちゃんが寿司の入ったパックや焼き鳥を差し出してくれ、
煮込みが美味しかったのでお代わりしたら日本酒が飲みたくなり、
そしたらこれも結構図々しいかみさんが「うちのお父さんが日本酒を飲みたい
そうです」と言ったもんだからテントの人がすぐに一升瓶の口を切って
コップに注いでくれた。そして、暗くなりかけたころに庄ケ畑さんさの
輪踊りが始まった。去年は輪に加わって最後まで踊らせてもらったっけ。
今年はかみさんをその輪に押し込む。以前から「小さなお祭の伝統さんさを
観たい」といっていたから、
これもやっぱりしり込みしていた地元のおばあちゃんの
手を取って照れながら輪の中に入った。
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輪踊りはずいぶん長く続いた。
これは想像だが、昔もきっと庄ヶ畑のさんさは川又の祭に奉納していた。
神楽とさんさが順番に演じられていた。
ぼくはテントのなかで神楽の世話人さんの苦労話を聞きながら、
暗がりの中で続いている輪踊りを眺めていた。
ダムに沈む前の集落の祭もこんなかなと思った。
何かがよみがえるためには、物語を伝え続ける人がいなければいけない。
その物語に強く共感した人が現れたときに、
流れた歳月を超えてよみがえるものがある。
御神楽を舞った2人のお母さんはホッとした顔で心底嬉しそうだったが、
それは羨ましくなるくらい幸せな役割だったと思う。

物語を伝え続ける人になること。
非力であっても、その役割なら自分にもできないだろうか。
最近、ふとそう思うようになった。

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よみがえるということ①

A新聞の地方版に早池峰神楽のルポが連載されている。
ユネスコ無形文化遺産に指定が決まる直前からの掲載だが、舞の歴史だけでなく
神楽を支えるさまざまな人にも取材が重ねてあってとても読み応えがある。
その5回目に「女性たち」という見出しで、かつて大償神楽の舞台にも立った
4人の女性を紹介してあった。70年代の一時期、後継者が絶えるのを
心配して当時の保存会会長が女人禁制の掟を破って女性たちに門戸を開いたのだ。
保存会会長は掟を守ることより神楽を残すをことを優先させたという。
それから、「母ちゃんたちに教えればその子どもたちが舞うかもしれない」と。
この記事を読んだときに、真っ先に思い出したのが川又神楽だった。

古いブログにも書いたが、去年の8月、ダムに埋もれた集落の神楽が20数年ぶりに
復活するかもしれないというニュースがあって、ニュータウンのいちばん奥にある
小野松観音の例大祭を見物した。残念ながら舞い手が揃わず復活は見送られたのだが、
楽しい祭の夜だった。伝統さんさの輪踊りに加わったり、テントのなかで
コップ酒を振る舞われ、ダムに埋もれる前の川又を覚えている人たちの話を聞いた。
そのとき、世話人と思しき人が「来年の祭では必ず復活させます」と言っていた。
ぼくは「一年ではムリかもしれないな」と思った。
ニュータウンと神楽はあまりに釣り合わない。
テレビやゲームに夢中になり、体を動かすといえばサッカーや野球しか思いつかない
子どもたちが神楽に興味を持つとは思えないし、親の世代もまたほとんどが
よそから移り住んだ通勤族だ。神楽復活といわれても自分たちには何の関係もない。

ところが、どうやら復活するらしいというニュースが祭の前に流れてきた。
ニュータウンの小学生と中学生が数人、稽古を重ねているという。
長い時期、途絶えた神楽だがかつて舞を習った人や古いビデオも見つかり、
保存会もできて小野松観音例大祭には舞台に立つというのだ。
8月22日のその日、予定では3時半と5時の2回、20数年ぶりの
川又神楽が復活する。朝から落ち着かず、午後はひっきりなしに時計を見て、
3時にはたまらず家を出た。

鳥居の下の広場に特設の舞台が設えてあって、見物のための椅子も数十脚並んでいた。
半分ほどはすでに埋まっている。みんな静かに舞台が始まるのを待っている。
会場には厳かなものを息潜めて迎えようとする雰囲気があって、
そのことに気がつくと川又神楽は本当に復活したのだなと思った。
神楽に限らず伝統芸能に観客の果たす役割は大きい。舞台を支えるのは
その芸能の担い手ではなく観客の視線なのだとぼくは思っている。
まして稽古に取り組んで日の浅い子どもたちが舞うのだ。見守る大人の視線に
厳かなものを待ち望む気持ちがなければ、神楽はただの見世物になってしまう。

その日、舞台ではまず世話人さんの挨拶があって、
それから舞い手全員が幕前に座って一人一人、名前を紹介された。
全部で9人。小学生と中学生が3人ずつ、その母親が2人、そしてもう一人は
20代の若者で、祖父が川又神楽の舞い手だったので復活するなら自分も参加したいと
志願したのだという。

演目は「御神楽」。短い期間の稽古だからいくつも習うわけにはいかない。
一つの演目を20数年ぶりによみがえらせるだけでも大変なことだ。
「御神楽」というのは鶏舞のことで、神楽には式舞といってどんな舞台でもまず
舞わなければいけない演目があり、その一番目が鶏舞になる。
それぞれの流派によって舞の動きはずいぶん違うのだが、鶏舞を観ればその神楽の
個性がわかる。いわば基本舞であり、舞い手が最初に習うのも鶏舞になってくる。
だから象徴的な意味を持たせて「御神楽」と呼ぶのだろう。ぼくは神楽の演目の
中ではこの鶏舞がいちばん好きだ。

ニュータウンはまだ夏の日差しが残っていた。
ダム湖のほとりの小さな祭もその日差しに包まれている。
舞台の前の椅子には何人ものお年寄りが座っていて、みんな静かに見守るなかで
幕が開き、御神楽が始まった。長く途絶えていたものがよみがえるときの、
小さな輝きがしだいに光を増すような舞だった。
この瞬間に立ち会えたことがほんとうに嬉しくなってくる舞だった。
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禿げ鷹

先日、いとこと20年ぶりに会って酒を飲んだ。
いとこは同じ市内に住んでいるが単身赴任なので週末は沿岸の自宅に帰る。
ふだんも忙しいし、年賀状では毎年「今年こそ飲もう」と書いてくるが
なかなか会うチャンスがなかった。
ところが突然、電話があって娘が結婚するので披露宴に出てくれという。
聞けば式場は市内だし他にもいとこたちが集まるというので喜んで承諾し、
ついでに飲もうという話になって待ち合わせの場所を決めたのだ。
いとこはぼくより2歳下だからもうすぐ定年を迎える。
元国営通信会社勤務で、部下が数十人もいる。
20年ぶりに顔をあわせればそれなりに貫禄が出てどっしりしているんだろうなと
思ったら、たちまち50年前の子ども時代に戻ってしまった。
笑ってしまうが、いとこはぼくを「リュウあんちゃん」と呼ぶ。
ぼくはいとこを「ケン坊」と呼ぶ。子どものときからの呼び名だから、
いまさら急に変えられない。繁華街の寿司屋のカウンターで、
60歳と58歳の男がお互い、そんな呼び名で笑いながら酒を飲む。

その寿司屋は2階に座敷があって、いとこの職場の連中がちょうど
宴会でもやっていたのか、そのうちどやどやと階段を下りてきた。
カウンターに座っているいとこに気がつくとみんな挨拶する。
自分たちの上司だから隣に座っているぼくにも丁寧に頭を下げてくれる。
なかには名刺を出そうとする社員までいるが、いとこはシッシと追い払う。
そりゃそうだな。「ケン坊」になり切っているからバツが悪い。

いとこと飲めばあっちのいとこ、こっちのいとこの話が出てくる。
あいつはどうしてる、こいつはどうなったという話だが、
みんなそれぞれいろいろあるけど元気でやっているらしい。
それからお互いの親の話になった。親戚だから事情はだいたい知っている。
披露宴には90歳になるいとこの父親は出ないそうだ。
ぼくの親はじつはケン坊夫婦の仲人なのだが、これも出席できない。
ということは、もしかして新婦の親戚のなかでぼくは最年長ではあるまいか。
少なくともいとこ同士の中ではいちばん年上なんだから、それに近いのではないか。
それでふと考えてしまった。

近ごろの披露宴というのはどうも、
若い男女が雰囲気を盛り上げようとしてはしゃぎ過ぎる。演出過多だ。
友だちが集まる会費制のパーティーならそれでもいいが、
大切に育てた娘を嫁にやるケン坊の気持ちを考えると、
少し睨みを効かしてやらなければいけない。
ぼくも昔は友だちの結婚式に何度か出たけど、披露宴の会場がどんなに華やいでも
奥のほうの席には調子こいている若者を睨みつける年寄りがかならずいたもので、
そういうのに気がつくと
「あ、新婦側の気難しい親戚だな。そうだな、可愛い姪っ子を嫁にやるのが
面白くない伯父さんというのもいるだろうな。少し厳粛な気持ちにならないと」
そう気がついてアホなスピーチで笑いを取ろうとしている友人を「バカ」と
軽蔑したものだった。
気難しそうな伯父さんはたいてい頭が薄くて礼服の肩を怒らせていて、
目つき鋭く周囲を見渡すから禿げ鷹に似ていた。

新婦の両親はお目出度い席だから一応、笑顔を浮かべなければいけない。
したがってこういう禿げ鷹役というのは、やっぱりいとこの務めだろう。
だとすれば最長老のぼくが引き受けるしかない。
「どうだ、ケン坊」と訊いてみたら、
「リュウあんちゃんがいちばん心配だ」と言われた。

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